江戸時代の八丈島、その様子はどのようなものだったのでしょうか。
伊豆七島を巡視する代官、随行するお侍、文士の日記からその当時の様子をシリーズで
紹介いたします。
昔八丈島小話
女護ヶ島の女
島人の相撲力 
島の女の服装 
あした草 




カフェ&バー るん

伝統工芸黄八丈め由工房


花卉鉢植 日の出花壇

八丈興発株式会社

株式会社 森秀
女護ヶ島の女

【昔八丈島小話】

「島の暮らし」 その1

江戸時代の八丈島の生活の様子を、当時の代官による伊豆七島巡視日記やお供の侍、絵師の日記より抜粋し、現代語に要約してシリーズで紹介いたします。 

 この島の女性は、髪がとても長い。180cmを超える女人もいる。 そして、みかけは皆若くみえ、年齢が50歳の人は345歳ぐらいにみえる。女性はたいていが美しい。

八丈島は、昔より「女護ヶ島」と言い伝えられており、生まれ来る子は、女が多いという。国地*から遠いからでしょうか風俗は大いに異なり、江戸の風情を見たり聞いたりしてもそれに習う様子は無く、国地の人は、物腰やそぶりがおかしいといって笑う。

島の人に、「歳は幾つか」と聞くとたいていの人は「知らない」と答えるので、しいてさらにたずねると「とりの年にうまれた」と自信なげにいうので「何とりの年」と聞くと、首をかしげながらカラスだったか鳩だったか定かではないが幼いときに母が言うには、たしか、雀の年であったとか。 すべての島人がこのようでは無いのだが本当の話である。

このような様子なので、言葉は通じないことが多い。特に女性には通じにくい。

 この島は、金銭は通用しないので、みな物々交換で用をたす。お茶は国からのもので煙草は島でとれたものと聞く。髪の油・元結・手ぬぐい・煙草入れ・きせるの類、すべて品物の交換で得る。

                  



冬は、暖かいので、大方の島人はわたいれを着ない。雪は降らず、氷はらず。ときたま雪氷のふることもあるがすぐに消えるそうである。ナスや唐辛子は冬になっても木が枯れなで年をこし、また実をつける。高さが1・5メートルあまりにもなるがナスは小さく、唐辛子のからみはうすい。 また、八丈島は大洋中にあるためにか、天候が変わりやすい。

今日は良く晴れたと思っていると急に雨が降ってきたり、風が吹き降ろしたりは、普通のことである。雨も風の無い日は、一月に23日のことで、まったくない月もある。〔訳・英生〕

【伊豆諸島代官 三河口太忠 寛政八(1796)年巡見  参照:伊豆諸島巡見記録集 緑地社】

* 今でも八丈島では本州を国地(コクチ)あるいは国(クニ)という。

八丈島の自然体験プログラム
夜の森光るキノコ探検
Go
ジュラ紀の森探検
Go
八丈の山と森を歩く
Go
八丈ブルーと遊ぶ
Go
八丈島の花で遊ぶ
Go
 
 島人の相撲力

「島の暮らし」 その2

*の人と島の人とが、相撲をとるところを見た。

国の人の体格はよく、肥っている。それに対し、島の人はというと、とても細くて力もありそうには見えないので、これは絶対に国の人が勝つだろうと思ってみていると、なんと以外にも、島の人が強い。 よくよく考えてみると、八丈島の中では、金銭の通用が無いので、欲のためにこころを使う必要が無いうえに、日ごろから余計な食べ物を口にすることが少ないので、自然と保養の道理にかなった生活をしている。

そのために、身体はおのずと健康で、筋骨も強く、力も強いのは当たり前のことである。

 この頃から国の人たちには、グルメを楽しむ習慣があり、メタボだったのでしょうか。確かにこの島には、アシタバ・くさや・芋類など健康によい食材がたくさんある   〔訳・コメント 英生〕

                 


三河口代官の随行者・文人小寺応斎画

【伊豆諸島代官 三河口太忠 寛政八(1796)年巡見  参照:伊豆諸島巡見記録集 緑地社】

*今でも八丈島では本州を国地(クニ)あるいは国(クニ)という。

 
 
 島の女性の服装

「島の暮らし」 その3

            
      三河口代官の随行者・文人小寺応斎画

この島の女性は、外出するときには、日傘をさすか、または造花をつけたすげ笠をかぶる。その姿は丁度、国の祭りのときのいでたちのようである。

 腰には、桑の木を彫って作った煙草をいれる印籠のようなものを長い紐で膝の辺りまでさげる。 おしめを幾重にも着けるのが良いとされ、帯はあかいしごき帯をしめる。
遠くに出かけるときも、下駄をはき、草履ははかない。

少しの荷物も、頭の上にのせて運び、背負うときはその帯を額にかける。

娘は、身分の上下を問わず、みな振袖を着ている。

  −−−−−−−−−−−−−
背負い帯を額にかける風習は、今でもこの島で見られるが、日本の他の地では見られない。
先人が南洋の島から来たという一つの根拠となる風習とされる。     

      【訳・コメント:英生】
 
 あした草
 明日葉

「島の暮らし」 その4


    
    三河口代官の随行者・文人小寺応斎画


 あした草は、秋口に花が咲き実をつける。
 花の色は白い。



 我なくも行末まもれあした草 

  はもする人のあらんかきりは

この歌は、源為朝明神がよまれたうたと言い伝わっている。

この草は、三年たてば秋に花を咲かせる。
根は、ニンジンに似ているがその色はやはり白い。ゆでて食べるが薬くさい感じがする。
ぞうすいにしたものを食べてみると、ダイコンと違って、歯ごたえがあり、いかにも食べたという気持ちになる。
 野山などにたくさん栽培しておけば、いざ飢饉のときの食べ物として、大いに役立つであろう。

花は、白くやや青みをおびている。

赤トンボは、六月ごろより飛びはじめる。  

―――――――――――――――――

 明日葉は、この島では、江戸時代も今と変わらずに葉もその根も重宝していた野菜であることがよくわかる。為朝の詠んだ歌もあるということなのでさらに以前からということになろうか。  

           【訳・コメント:英生